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今年の朝ドラは、やなせたかしさんと妻暢さんのアンパンマンに辿り着くまでの険しい道のりを元にしたオリジナルドラマ「あんぱん」です。
楽しみで朝ドラについて調べていくうちに、やなせたかしさんの生き様とアンパンマンという作品に込めた想いに深く感動いたしました。
- 朝ドラ「あんぱん」
- やなせたかしさんのこと
- 彼の思う正義について
- アンパンマンへの思い
以上についてまとめました。朝ドラを見る前の予備知識としてご覧ください。
朝ドラ「あんぱん」について
今年4月から始まるNHKの連続テレビ小説です。
2025年は戦後80年になります。その節目もあって戦争にも関係する作品になっているのかもしれません。
朝ドラ「あんぱん」あらすじ
主人公は今田美桜さん演じる「ハチキンおのぶ」こと朝田のぶ。
※ハチキンは土佐弁で気が強く働き者な男勝りな女の人です。
ドキンちゃんのモデルはお母さんと奥さん。見た目はお母さん、性格は奥さんだそうです。
父を亡くし伯父の家に引き取られた北村匠海さん演じる柳井嵩は転校先でのぶと出会います。
戦後2人は新聞社の先輩後輩となります。漫画家の夢を諦めきれていない嵩に、のぶは「先に行っているから」と会社を辞めて上京します。後を追って嵩も上京し結婚します。
嵩の夢を全力でサポートするのぶの人柄が見どころではないでしょうか。貧困や苦悩の中にも楽しさを見出し、子どもたちのヒーロー「アンパンマン」誕生日にたどり着くまでの夫婦の物語です。
※オリジナルストーリなので実話ではありません。
朝ドラ「あんぱん」の撮影場所はやなせさんの故郷
9月に撮影が行われたと高知のニュースで見ました。
場所はやなせたかしさんの故郷で、アンパンマンミュージアムのある香美市香北町と、高知県東部の芸西村の琴ヶ浜などです。
琴ヶ浜は海水浴は出来ませんが、月が綺麗で有名な場所です。
アンパンマンの声優、山寺宏一さんも出演
松嶋菜々子さんや二宮和也さん、高橋文哉さんなど豪華キャストが多い印象ですね。
アニメのアンパンマンからも、山寺宏一さんが出演されるそうです。チーズやカバオくんなど何役も声優を演じられています。
ずっとアンパンマンのアニメを見てきたので山寺さんが出演されるのはとても楽しみです。
やなせたかしさんについて
色々な仕事をこなし、マルチに活躍しながら50代の時にアンパンマンを発表しました。しかしはじめは大人からは決して評価されなかったそうです。
その後子どもたちから人気が出てアニメ化され有名になった時、彼は69歳でした。
妻の暢さんはそんなやなせさんの才能を信じてくれていました。
やなせたかしさんの複雑な生い立ち
1919年東京生まれ。5歳の時にお父さんを亡くし高知へ移住します。
2歳年下の体の弱い弟がいました。弟は伯父の養子になります。やなせさんはお母さんと暮らしますがお母さんが再婚のため、やなせさんも弟の養子先の伯父の元で居候となります。
やなせたかしは養子ではなかったのですが、伯父伯母夫婦は優しくしてくれたそうです。しかし寝るときは自分だけ違う部屋で寝ていたので孤独を感じていました。
複雑な環境のためか少年期は大人しく暗い少年でした。
いつもネガティブで死にたいと思ったこともあると本で読みました。
「迷惑をかけたくない」と自身の存在を負い目に感じていました。成長しても出来のよかった弟さんと比較して、外見にも成績にもコンプレックスがありました。
私の知っているやなせさんの陽気なイメージとは異なる少年でした。
少年時代から本が好きで、中学時代は絵にも興味がありました。そのため東京高等工芸学校図案科に進学します。東京での生活は楽しかったようです。
やなせたかしさんは就職後、すぐ徴兵される
製薬会社に就職後2年で徴兵されます。身寄りがなかったため、高知ではなく九州の部隊に配属されました。慣れない土地で毎日すごく嫌だったそうです。
しかし逃げる事もなく、学歴を生かして暗号を担当する下士官になります。
下士官時代は指導として人を叩いたりすることはなく、教育係として人気がありました。
その後中国に出征させられましたが、戦闘地域には行かなかったため、戦争中に銃を人に向けた事はありませんでした。
一方で、海軍になった弟さんは22歳で特攻のため戦死されました。
詩集に「おとうとものがたり」というものがあります。自分たち兄弟のことを『シーソーのようだ』と表現されています。自分のような出来の悪い人間が残って弟が死んだと悔やんでいました。
弟さんへの思いはずっとやなせさんの心の中にありました。
やなせたかしさんは暢さんを追いかけて上京
引用:やなせたかし記念館パンフレットより
終戦後、高知新聞社へ入社し暢さんと出会います。
上京した暢さんを追いかけてやなせさんも東京へ行き2人は結婚します。その後フリーの漫画家になりますが代表作には恵まれませんでした。
しかし漫画以外にも才能を発揮し絵本作家、編集者、デザイナーと様々な活躍をされました。
アンパンマンは彼の今までの経験から生まれた集大成とも言える作品です。
やなせたかしさんの思う「正義」
戦争経験からやなせさんは、正義について次のように考えるようになりました。
・正義とは信じがたい、簡単に逆転するもの
・本当の正義とは献身的な愛、お腹を空かせた人を救うこと
正義とは逆転するもの
太平洋戦争に駆り出された時、この戦争は聖戦であり「日本は苦しんでいる中国人を救うために戦っている」と信じていました。
しかし戦争が終わると「日本軍は中国を侵略した」と言われました。
一瞬にして正義が逆転しました。
みんな自分が正しいと思っています。敵を倒すことが正義であるという考えが戦争を起こします。状況によって変わる正義は本当の正義ではないのです。
本当の正義は献身的な愛
ここにアンパンマンの原点があります。
どんな人でもお腹が空くとおかしくなります。正義のヒーローがまずやる事はお腹が空いて困っている人を助けてあげること。やなせさんが語る正義です。
そして正義のヒーローはカッコいいものではない、弱くて孤独だと言います。
アンパンマンは弱すぎると思っていました。やなせさんのヒーロー像だったと知って見ると違う印象です。
正義のヒーローは自分が傷つくことを覚悟しないといけないのです。
アンパンマンマーチの「愛と勇気だけが友達さ」という歌詞は戦いに行く時は自分1人で戦うこと、責任は自分で背負うという覚悟が必要だということなのだそうです。
やなせたかしさんのアンパンマンへの思い
やなせさんはアンパンマンのことを「自分の子ども」だとおっしゃっていました。おそらく自分自身でもあり、亡くなった弟さんでもあり、子どものような存在でもあったのではないでしょうか。
やなせたかしさんの理想のヒーロー像
自分の顔をちぎってお腹を空かせている人を助けるアンパンマンの姿は「献身的な愛」を表したヒーローそのものです。
アンパンマンは「喜んでもらえて嬉しい」とニコニコしているシーンがよくあります。作者自身が人を喜ばせたいという気持ちをいつも心に持っていたから生まれたヒーローなのでしょう。
アンパンマンは世界最弱であるがゆえに、誰よりも優しくて勇気のあるヒーローです。
晩年やなせさんは様々な病気で苦しんでいました。それでも誰かのために、喜んでもらえるならと忙しく活躍されていました。その姿はまさにヒーローそのものではありませんか。
アンパンマンが「あんぱん」になった由来
元々の初代アンパンマンは太ったおじさんでした。おじさんがパンを配ってあげる設定だったそうです。その後パンが空を飛んだら面白いと考えて、自分の顔をあげる現在のアンパンマンになりました。
あんぱんは日持ちがすること、そして外側は西洋、中身は日本。見た目は西洋でも心は日本人という意味もあります。
そしてもう一つは子供のころに迷子になって困っていた時、助けてくれた友達のお母さんが買ってくれたあんぱんがおいしくてそれが忘れられない記憶として残っていたことでした。
やなせさんにとってはあんぱんは特別な食べ物になったのだと思います。
やなせたかしさん自身の考えについての本も出版
やなせたかしさんは本、詩集、絵本など多くの本を残していらっしゃいます。
勇気をもらえる言葉がこの本には出てきます。小さな子どもから大人まで誰にでもわかることを意識されていた彼の言葉や人生観が読める作品です。
私も全ての著書は読んでいませんが、この機会に新しい本を読んで読みたいと思います。
これは絵本なのですが、本当の愛について考えさせられます。親だから血が繋がってないからそんな事はどうでもいいんだと、やなせさん自身の生い立ちから生まれた作品です。
まとめ
やなせたかしさんについて知れば知るほど魅力的な方だと思いました。
幼児向けのアニメとは思えない「アンパンマンマーチ」の歌詞に子ども時代違和感を感じていたのですが、やなせさん本人の生き方を知ると強いメッセージがあることを理解しました。
『何のために生まれたのか』この問いを心の中に常に持って生きたいと思います。
「あんぱん」のドラマではやなせさんの正義への思いがどのように表現されるのか楽しみです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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